世界のパンの歴史 2 ローマから中世
ローマ時代 (紀元前753 ~ 紀元後453)
製パン所は、教会や貴族の支配下に置かれ庶民がパンを作ることは、禁止されました。パン作りは、ローマの支配を通して広くヨーロッパに伝わりました。パンの消費の拡大に伴い馬や牛に引かせた石臼や混合箱(ミキサー)、改良された石釜が作られパンが大量に作られるようになりました。
この時代になると、パンと菓子が分離し別々の道に歩むようになりました。パンや菓子を作ることが男の仕事として確立し、BC171年にはその職業が法的に承認されました。ローマ帝国は、植民地からの税収を使って、兵士や市民にパンを配給していました。兵士には、1kgものパンが支給されていたそうです。国が、生活を保障するため、パンの配給という制度がありました。
仕事で行ったドイツのフランクフルトやイギリスでもローマ浴場の遺跡に行ったことが有ります。ローマの支配が広くヨーロッパ全土に拡がっていた跡を今でも見られることができ、実感としてローマ帝国の広大さにビックリしました。支配と同時に様々な知識や文化、食生活が広められる結果にもなったと思います。
中世 (500 ~ 1500頃)
ローマ滅亡後の中世ヨーロッパでは、食文化としてのパン作りは衰退し白いパンは一部の上流階級の食べ物で一般には、今のように白く製粉されていない粉で作られる固くて黒いパンが食べられていました。キリスト教では、パンはキリストの肉とみなされていたので教会や修道院で、信者に与えるためのパン作りが行われました。この時代の菓子は、小麦粉を主体に卵や白チーズ、あるいは香辛料を加えたもので、ちょっと手が掛けられたパンといったものでした。 この時代は、オーブンは貴族や教会・修道院等が独占し、彼らの貴重な財源となっていましたが、やがてパン屋にも認められるようになりました。