世界のパンの歴史 4 近代から現代

パン酵母の大量生産への道

現在のように工場で大量にパンを作るためには、パン酵母の大量生産が必要不可欠でした。
パン作りは、18世紀(1700年代)には、ビール酵母に代えてアルコール製造の副産物である酒精酵母が、次いで19世紀初頭には酒精酵母を圧搾し水分を減らした圧搾酵母が使われるようになりました。19世紀(1800年代)に入ると、ヨーロッパ各国では酵母工業の必要性が高まり、イーストを培養するための研究が盛んに行なわれるようになりました。

1857年、フランスのワクチンの研究で有名なパスツールによってついに発酵の原理が解明されます。彼は「酵母が糖をアルコールと炭酸ガスに分解する」ことを初めて理論的に解明し、この成果を受けて酵母の研究は大きく進歩します。

20世紀(1900年代)に入り第一次世界大戦のドイツで酵母製造の主原料となるでんぷん(大麦・ライ麦などの穀類や、じゃがいもなどから採れる)の入手がむずかしくなりました。そこで、ドイツの酵母製造業者たちが代替物として廃糖蜜や肥料の硫安を使って良質な酵母の大量生産に成功したのです。酵母工業は、戦後も発展を続け、それとともにパン工業も食品産業の大きな柱へと成長していきました。

パンの大量生産

20世紀にはいって、機械、製造技術・冷蔵技術・流通技術の進歩と相まって、高価だったり手間が掛かったりした製品が大量に安く作られるようになり手軽に様々なパンやお菓子が、一般的に食べられるようになりました。最初は、食パンや丸めたパンなど単純なパンの製造が機械化されて、徐々にパイやクロワッサン、バケットなど手間や管理の難しい製品まで機械で生産できるようになりました。今では、機械や製造技術の進歩によりスーパーやコンビニなどに色々な商品が売られています。製パンが、工業化される事で、それまでは地域のパンだけを食べていたのに徐々に世界のさまざまなパンが紹介されて食べるパンがどんどん拡がっています。 現在では、パンもお菓子も溢れているので作れば売れる時代ではなくなりました。特徴ある製品を作り、いかに消費者を引き付けるか製品自体の魅力だけでなく五感にうったえる販売戦略も含めて激しい競争が行われています。
大量生産により特徴のない小さな街のパン屋さんは、廃業を余儀なくされました。一部の国では、個人経営のパン屋さんを守るために法律で規制をしている国もあります。反面、手作りでは、高価でその販売地域も限られてしまいますが、大量生産により安く広く製品が流通される事が可能になることで知られていなかった製品が流通することで、広く認知されるとさらに本物を求める人達が手作りの名店を訪れるようになり手作りパンのお店にも良い効果が現れました。

私も世界中に食パン、パイ、クロワッサン、伝統的な世界のパン、などの生産指導に各国を訪問してパンという世界の広さや奥深さを学びました。パンは、生まれた地域に根付いたバックボーンがあり理由がありそれは、単にパンを作る事が独立している訳ではないことを確認させられてとても有意義な経験であるとともに楽しい時間を過ごす事ができました。日本でもさまざまな世界のパンが食べられます、そのパンのストーリーを知っているとさらに味わい深く食べられますので初めて食べる製品は、ちょっとネットで検索してみるとそれも楽しい時間になり良いと思います。