日本のパンの歴史3 昭和〜現代
昭和
大正時代が終わると日本は、徐々に国土の拡張に向かいやがて二度目の大戦の主役の一つとなります。それにつれて自由な空気、経済は薄れて国の方針に沿って社会が動くようになりました。第二次世界大戦が始まると徐々に原料不足、電力や石油などにも不自由し食料も配給制となり末期には、食べる事にも事欠く生活となりパン作りにも暗い時期でした。
戦後
昭和20年(1945)終戦直後は食糧難に悩まされた日本ですが、安定した社会のために食料援助の必要性をGHQに訴えアメリカからの物資援助として大量の小麦が届けられるようになりました。パン作りも復活し次第に戦争の痛手からも立ち直っていきました。この頃は、委託パンと言って国から支給された材料でパンを作り納品することが主な事業でした。昭和23年には、山崎製パンが開業し委託パンを作っていました。昭和25年には、パンを主食とする学校給食が開始され多くの子供の栄養不足を補いました。
山崎パン配送車
敗戦の記憶から戦後復興の過程で日本では、欧米文化が豊かさや自由の象徴となりました。そのためライフスタイルの洋風化が進み、パン食も人々の暮らしのなかに浸透していきました。パン製造業者の生産量も増え会社が大きくなっていくにつれて街のパン屋さんが無くなっていきました。やがて大きくなった製パン会社は、徐々に経営の優れた製パン会社が他の会社を買収、吸収淘汰され全国的規模の大手ベーカリーが生まれました。会社間の競争によりパンの種類がどんどん増えて昔はなかった手間のかかるクロワッサン、デニッシュ、パイなどが全国で手に入るようになりました。その裏には製パンの機械も作られる製品の広がりに合わせて様々な機械が作られ大量生産が、可能となり手ごろな価格で買えるよになった事実があります。
現在
現在では、日本の製パン技術とパンの種類は世界トップクラスといわれています。日本に初めて発酵パンが伝わってから4半世紀あまり。いまや、パンは私たちの生活に欠かせないものとなっています。主食的な食パンが主力でしたが、今では、お菓子から調理製品まで様々な分野のパンが販売されるようになりました。また工業製品が行き渡り人々がパンのおいしさを求めるようになると、街のパン屋さんが復活し高級パンのお店、食パン専門店、無添加パンの店、など様々なパン屋さんが街で見られるようになっています。お米の消費量をぱんが上回ったのもだいぶ前のことですが、パンの売り上げ規模は、1兆円ほどとなりますが、全国で一世帯当たり年間支出金額が多いのは、神戸市、京都市で3万8千円程度です。パンの購入層で見ると30歳以下の若者より60歳以上の高齢者が50パーセントほど多く支出しています。 ガッツリ系の若者より孤食の多い高齢者が調理をせずに気軽に食べられるので良く購入しているようです。パンは、すでに志向食品から主食としてスーパーなどの調理済み冷凍食品やパック商品とも競合しているといえます。
日本では、いろいろな商品が食べられますので定番以外にも幅広く試すと楽しいですよ。