日本のお菓子の歴史4 明治〜現代
明治(1868~ 1912)、大正時代(1912~ 1926)
明治時代は、すごい速度で西洋の知識を吸収し日本が国力を伸ばした時代でお菓子も例外ではありません。今に続くメーカーの基礎が生まれたのもこの時代です。大正時代は、14年間という短い期間ですが自由な空気が花開いた時代で一般の庶民が西洋文化を取り入れモダンガール、大正デモクラシーなど大正ロマンなどと呼ばれる明治と昭和の間に少しみんなが自由を意識して生きられた時代だと思います。
明治時代になり、文明開化の名の下にお菓子の世界にも、洋菓子製造技能や洋風食材が導入されました。相手先も、これまでのオランダ、ポルトガルからイギリス、フランス、アメリカに変わりました。お菓子の呼び名も南蛮菓子、阿蘭陀菓子から西洋菓子、そして洋菓子となりました。 キャンデイ、チョコレート、ビスケット、スポンジケーキ、クッキーなどが輸入されミルクやバターの味が広まるとともに、消費が増え輸入が増えると国内生産の方が儲かる可能性が高くなるので製造に関心を寄せる人々が現れ始めました。
日本で最初に製造された洋菓子は、明治8年(1875)のビスケットで、製造を始めたのは東京京橋にあった風月堂です。同じ頃九州では、カステラ饅頭(菊水堂)が生まれました。こうして西洋の味に人気が出てくると和菓子にも西洋菓子が、取り込まれるようになっていきました。
明治時代中ごろには、ビスケットの機械化が試みられ、街中では洋菓子店が出現するようになりましたが、我が国の洋菓子の製造に新しい次元を切り開いたのは、森永太一郎氏で、彼はアメリカで製菓技術を習得し、明治32年(1899)赤坂溜池に小さな2坪の森永西洋菓子製造所を創立しました。キャラメル、ウエハウス、チョコレート、マシュマロなど各種の西洋菓子を作っていたそうです。1914年(大正3)に、紙で包んだ森永ミルクキャラメルを大量生産に入りました。当時のキャラメルは、10個詰で天丼と同じくらいの値段だったそうですから今のように気楽に食べられる商品では無かったようです。また、1918年(大正7)には最新の機械を輸入して日本で初めて原料カカオ豆からのチョコレート一貫製造を始め日本で最初のミルクチョコレートを販売しました。
キャラメル
森永の成功に刺激されて1916年に東京菓子(現在の明治製菓の前身)が設立され1917年から東京菓子大久保工場でキャラメル、ビスケットの生産を始めました。明治製糖の子会社大正製菓と合併し1924年に明治製菓に社名が変わり現在に続きます。1926年(大正15)明治製菓もミルクチョコレートを販売開始しました。
東京菓子 ミルクチョコレート
1922年には、江崎商店(現在の江崎グリコ)が牡蠣の煮汁からとれるグリコーゲンを配合した「グリコ」を発売しました。最初は、カードを同封していましたが1927年に玩具を入れるようになりました。今で言う食玩のルーツですね。
その後互いに製品の品質や価格の競争で日本のお菓子メーカーの技術力は向上し、日本のお菓子は、現在世界でも認められ輸出や現地生産をしている商品が数多くあります。その基礎が作られたのがこの時代です。美味しい製品が比較的安く手に入るのは、メーカーの努力と研究の結果と思いますね、
当時、洋菓子の発達に力があったのは、喫茶店「カフェー」の出現で、コーヒーを飲みながら洋菓子を食べるようになり、パイ、ショートケーキ、シュークリーム等が作られるようになり、洋菓子専門会社が設立されるようになりました。
ベコちゃんの不二家は、1910年(明治43)藤井林右衛門(25歳)が横浜元町に開店した洋菓子店がルーツになります。その年の12月には、クリスマスケーキも販売したそうです。
復元したケーキ
* 写真は、各社のホームページより
昭和から現代
太平洋戦争 1941年〜1945年
昭和14年(1939)、1937年からの日中戦争により戦時経済が進む中、砂糖に公定価格制が実施され、翌15年には統制下に置かれることになりました。
菓子店の中には休業や廃業するものも現れ、昭和20年(1945)には菓子の生産は殆ど休止状態となりました。
戦後
21年(1946)には全く停止状態となりました。
昭和23年ごろより占領軍からの食糧放出があり食糧事情が次第に改善されつつありました。
昭和24年(1949)のブドウ糖の統制撤廃、昭和25年には、朝鮮戦争で大手に大量の特需が生まれ復活の力となり、27年(1952)の砂糖の統制撤廃など、各種原材料の統制が解除されて、菓子業界も再び活気づいてきました。
昭和も30年代になると、製菓機械やカカオ豆等の輸入が自由化もあって、チョコレート、チューインガム、洋菓子の生産が急増しました。
冷凍ショーケースの普及とともに、ショートケーキ、シュークリーム、プリンと言った生菓子が定着。 また、配送可能なバウムクーヘン、マドレーヌ、缶入りクッキー等が大流行し、時流に乗った多くの洋菓子店が企業へと成長していきました。
1961年に和菓子にも大きな変革がきます。和菓子の製造は、ずっと人手により行われていましたが、あんこを生地で自動で包む包餡機が発明され包む作業の機械化が可能となりそれまでできなかった、和菓子の工業生産に道を開きました。これにより和菓子も大手による大量生産により特徴のない個人店の減少へとつながりました。ビスケット、米菓、和生菓子等も順調な伸びを示し、菓子も本格的な大量生産時代へと進みました。消費層も幅広い年代へ、需要も価格の値下がりとともに広がり、お菓子は、食生活に欠かせないものとなりました。
高度成長からバブル景気までは、生産も消費も大きく伸びて高額商品が売れていったのですが、バブルの破裂で多くの和菓子や洋菓子店が売り上げの落ち込みから倒産、廃業していきました。冬の時代です。大手の量産していたお菓子は、価格競争から売っても儲からないなど苦しい時代です。私も町のお菓子屋さんが廃業していくのを何件も見てきました。日本のほとんどの人の給料が、下がっていったわけですから消費者も無駄な買い物が減りました。
そんな状況だったのでお菓子は、買ってもらうために競争により品質や味が向上し世界的にもコストパフォーマンスの高いお菓子がたくさんあります。 さらに、菓子としてだけでなく健康機能など様々な付加価値を持った商品も売られています。
生菓子がどこでも買えるようになった
以前は、都会と違い地方では、洋菓子店が少ない、さらに田舎では無いので気軽に買えるものではなかったのです。それが、洋菓子店でしか買えなかったようなスイーツもコンビニで買えるようになったことで、話題のスイーツが日本のどこでもほとんどタイムラグなく食べることができるようになりました。これは、すごいことだと思います。私の経験でもこんな環境は日本だけです。